🐿テクノロジーへのおもい 水野勝仁
MEDIASELECT2003は,2002年に名古屋で行われた電子芸術国際会議(ISEA2002NAGOYA)に参加した若手アーティストを中心となってひろがっていった,ひとつのプロジェクトとして活動してきました.プロジェクトは,参加メンバーの各自の興味をもったことを発表する研究会と,展覧会「MEDIASELECT2003post」から構成されました.ここでは,展覧会期間中に行われたディスカッションを中心に,このプロジェクトから考えたことを書いてみたいと思います.

ディスカッションのテーマは「コンピュータの前/後」というものでしたが,実際の流れは「エラー・テクノロジー・イマジネーション」というものになりました.このディスカッションで探りたかったのは,コンピュータを使い出す前と後で,作品制作にどのような変化が起こっているのかということだったのですが,コンピュータの力は意外に強くて,もう使用前について意識的になるのさえ難しくなっていたような感じでした.コンピュータ体験というものは前/後といったように区切りをつけられるものではなく,すべてを同一平面に配置して,今まではなればなれになっていたものの間に,ひとつの連続性を与えたと考えることができるのかもしれません.以前は,その連続性の接続面というのは,人と人との間のコミュニケーションのことだったのだけど,今は,その人と人の間に,コンピュータをはじめとする何かしらのテクノロジーが入り込んでコミュニケーションを行っているから,僕たちがまじめに考えてしまうのは,どうしても人とテクノロジーのインターフェイスになっているようです.人が何かしらのコミュニケーション行為をするときは,必ず,相手のことを想像します.他人へのおもいということです.それが,今では,まず,テクノロジーのことを想像する.それは良い意味でも,悪い意味でもなくてただそうなっていると,感じられます.テクノロジーへのおもいということでしょうか.

そして,そのおもいは、エラーという現象が媒介しているように思われるのです.というのは,僕たちは,コンピュータを,自分たちとは異なったひとつの自律的環境として,認識しているような気がするからです.何気ない会話で,相手が口にした言葉にハッとするように,自分が思ってもいなかったことが,コンピュータから出てくることから,何かを想像するようになっている.この以前なら,単なる技術的なエラーと受け取られていたものを,僕たちは,すべてを知ることはできないもうひとつの環境,つまり「他人」からの呼びかけとして受け取るようになっていて,そして,さらなるコミュニケーションを図ろうとする.ここから,テクノロジーへのおもいといったようなものがうまれてきているような気がしています.コンピュータが,とても強い力で,でも,とてもひそやかに多くのものを結びつけようとしている今だから,このエラーへのまなざしは大切であって,そこから,テクノロジーとイマジネーションの関係を,コミュニケーションの問題として考えていくということが,僕たちに突きつけられているように,このプロジェクトに参加して感じられました.

最後に,このようなプロジェクトを行う機会を与えていただいた,メディアセレクト世話人のみなさま,展覧会開催に関して,右も左もわからない僕たちに,貴重な助言していただいた,立松由美子さん,そして、展覧会を支えてくれたボランティアのみなさんの力によって,このプロジェクトを無事終えることができました.本当にありがとうございました.