人権と民主主義と未来を考えるための書評

三千年紀の国家

リヒテンシュタイン侯爵ハンス・アーダムⅡ世の著した国家論。
リヒテンシュタイン公国はスイスとオーストリアの間にある人口35000人、面積160k㎡の "市" 程度のサイズの国だ。この国は重武装型の中立国に全国境を囲まれている関係上、軍備を持つ必要がない。そしてタックスヘイブンとして大企業を誘致しており、知る人ぞ知る極めて豊かな国である。
彼は立憲君主、財閥の社長、かつ軍事研究家でありながら、その憲法に自治体はいつでも独立してよいことを盛り込んだ人物。小貧困国にも拡大するゲーム理論的に止まらない現象としての「核の傘」の驚異を例に、世界の持続性を維持できる制度設計の重要性を極めて説得力ある事例と含蓄に富んだ言い回しで説明する。大きな自治体を国の中にもってしまうと独立の蓋然性が高まり、かつ独立の暁には民族的連帯の強さから今より多くのマイノリティを生み出し、社会に軋轢を招きかねないということで、地域コミュニティ(村〜市規模の自治体)のサイズを基本単位として自治体に直接民主制を導入することによって国家に収まるインセンティブを高めることを提唱している。
国家はサービス業であるべきだと繰り返し主張し、国家が提供する公共サービスも経済学的・人権的に国家が行う妥当性があるものだけを行うべきだという極めて分権的な小さい国家(リバタリアニストの理想ではないか?)を君主自ら提案するような奇書である。
この本を著すまでに20年かかっており、それだけこの侯爵が食わず嫌いのなく幅広い知見を仕入れ、考え抜き、俯瞰的に2000年代の国家のあるべき姿を見通そうとしたということだろう。

無人の兵団

ビル・ゲイツ2018年推薦本。
無人の軍事機構に関する詳細な分析レポートなのだが、リヒテンシュタイン公国の無軍備体制を見てから私の評価がランクアップした。なぜなら、「無人の警察」というコンセプトに応用が効くレポートであるからだ。
バングラディシュとミャンマーの国境ぞいに位置するカトゥパラン難民キャンプは270k㎡という巨大な大学のキャンパスのような敷地面積に60万人のロヒンギャ難民がひしめく場所だ。ここ牛耳る自警団ーもといギャングのMahjeesは、本来バングラディシュ法に則り取り締まられるべきであるのに、そうなっておらず、一夫多妻のキャンプの家族から夫を拉致し、妻を性的搾取に用いることで活動資金を得ている。このキャンプに自治をもたらすためには悪徳自警団を一層し、司法・立法・行政の基盤システムを手に入れ、司法体力をつける必要がある。もし、それらの必須要素のコストがゼロ化する時代に我々が生きているのだとしたら、何ができるだろうか、と考えるきっかけになる本であった。

ストロング・デモクラシー

ベンジャミン・R・ハーバー著。
1984年に著されたこの書物は、「民主主義の次」を曖昧に記述している。
曖昧に、とあえて悪く書いてしまったのは、その衒学的な筆致がゆえである。なかなか他者に考えが伝わらない私がそういうのだから、読みにくさは折り紙付きである。
しかし、この本の素晴らしさはそれでも失せることはない。奇しくもジョージ・オーウェルの1984の舞台となった年代と同じ年に書き下ろされたこの本は、熟議民主主義のやり方を紹介している。これは熟議による意見投票(Deliberative Polling)の発明者とされるフィシュキン氏よりも先だ。間違いのないように書いておくが、熟議民主主義とは市民から数名の代表者をランダムに選抜し、政策の可否について決定する政治機構だ。直接民主主義は全員参加であるため、明確に異なる仕組みである。(誰にも不正できないランダム数に関する言及もなく、ハーバーのアイデアは36年経っても実装されなかったが)


抵抗権と人権の思想史(欧米型と天皇型の攻防)

人権には出自の異なる複数のタイプがある。ひとつはキリスト教を源流とする、国王への抵抗権(革命権)を認めた人権定義だ。もうひとつは日本の天皇が臣民に与えた、革命を認めない人権定義だ。
このふたつを丁寧に比較検討することで、日本人一般の人権認識がいびつになりやすい旨を指摘した。
人権概念の捉え方が間違っていると、政治的スタンスや言葉遣い、ひいては考え方のすべてや立法までもおかしなことになる。すべてが馬鹿げたことになるのだ。例えば「小さい国家」を目指したいリバタリアニストはしばしば「民業への規制のゆるい競争力のある国家となるために〜」などとのたまうが、正しくは「徴税とは国家による所有権への人権侵害であり、それは最小限であるべきである」という論法のほうが遥かにパンチがある。我々は一度すべてを洗練された人権概念に基づいて言い直すべきであり、ただし語用論の上に正しい議論がありえる。