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次元の折り重なりを透かし見る[
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デスクトップ・リアリティと永田康祐《Function Composition》
永田康祐《Function Composition−01》2016
永田康祐《Function Composition−02》2016
永田康祐《Function Composition−03》2016
デスクトップ・リアリティ
デスクトップ的リアリズム?
永田 そういう時代ごとのメディアに対するリアリティから,時代時代に別種のリアリズムが生まれてきたという背景があるよね.テレビアニメとかだと,「まんが・アニメ的リアリズム」だったり,ゲームだったら「ゲーム的リアリズム」.「ケータイ小説的.」とかもそう.それぞれのメディアで経験される「あるある」みたいなもの,コンヴェンションがひとつのリアリティを形成したという経緯がある.
それで,僕はやっぱり,「デスクトップ・リアリティ」とか「インターネット・リアリティ」の影響は大きいなと思ってしまう.もちろん世代的なものもあるし,単純にメディア状況としてもそう.あえて先程の腑分けで考えてみれば「デスクトップ的リアリズム」みたいなものなのかな.
やはり「ポストインターネット」をどう考えるかというのは今あらためて問題にしないといけないところがたぶんあって,それはムーブメントとしては一段落ついたタイミングだからできることでもある.ICCの『インターネット・リアリティ研究会』はトークの記録がしっかりと残ってて,たぶん多くの人に読まれていて,意識している人も多いと思うんだけど.
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永田 デスクトップ的リアリズムとか,インターネット的リアリズムというものについて考えてみると,単に「インターネットの質感ってこんな感じだよね」,「データの質感とか画像ファイル形式の質感ってこんな感じだよね」ではなくて,
マウスカーソルを操作する身体をもった主体も含んだ世界がどのようなものなのかということや,ギャロウェイ的に言えばコンピュータのデスクトップ上のできごとが表象を貫いて現実の空間にどのように作用しているか
っていうのを考えるのが,ひとつの方向性としてあるんじゃないかと思う.
http://surfin.host/karaoke.html
2017
乱層のデスクトップ
コンピュータはひとつのディスプレイ上に,概念的な平面とゴミ箱が置かれた街角のような空間を同時に混在させる.空間性不要のウィンドウでもスクロールツールによって全体の平面内をなぜか文字列がパンする.同様に「平面」上でウィンドウが重なり,後ろに回り,別ウィンドウの上を通過したり….
平面に存在し得ない状況の様々である.「絶対の平面・空間に置かれた平面・深さと線遠近法的な性格をある程度もった平面」,これら言わば乱層するデスクトップを,ユーザーはそれほどのストレスや戸惑いを感じることなく受容し得た.
これは驚くべきことではなかった? p.20-21
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二次元という概念では捉え得ない,新しい視覚環境「平面」の登場だった.
p.21
戸田ツトム『電子思考へ……』2001
問題提起
「デスクトップ・リアリティ」とは何なのかを提示した後に,デスクトップ・リアリティのもとで永田康祐《Function Composition》を考えてみたい.
単眼
👁
によって見られるウィンドウ
画面の系譜学
古典的な画面
絵画・写真
ダイナミックな画面
映画・テレビ
リアルタイムの画面
レーダー,コンピュータ
レフ・マノヴィッチ『ニューメディアの言語』2001/2013
「一つの画面に一つの画像を見る」への挑戦
この安定性は,コンピュータ画面の到来によって挑戦を受けてきた.まず一方では,
コンピュータ画面は概して,単一の画像を見せるのではなく,いくつかの共存するウィンドウを表示する.実際,いくつかの重なり合うウィンドウの共存は,現代のGUIの根本的な原則だ.どの単一のウィンドウも,見る者の注意を完全に支配することはない.
その意味で,一つの画面の中に共存するいくつかの画像を同時に観察できるということを,ザッピングという現象
——
見る者が二つ以上の番組をたどることができるように,テレビのチャンネルをすばやく切り替えること
——
と比べることもできるだろう.どちらの場合でも,
見る者はもはや単一の画像に集中することがない.
p.157
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身体の監禁は,概念的な水準でも,文字通りの水準でも生じる.その両方の種類の監禁が,すでに最初の画面装置,すなわちアルベルティの遠近法的な窓とともに登場する.
線遠近法の多くの解釈者たちによれば,その窓は世界を単眼によって
——
静止し,まばたきもせず,固定させられた単眼によって
——
見られたものとして提示する.
p.166
レフ・マノヴィッチ『ニューメディアの言語』2001/2013
コンピュータでは,静止した単眼の状態で一つの画面に一つの画像を見ることが前提とされていないのではないか?
「Doing with Images makes Symbols」を体現する「重なるウィンドウ」
Doing with Images makes Symbols(イメージを操作してシンボルをつくる)
コンピュータ科学者のアラン・ケイが掲げたスローガン.現在のグラフィカル・ユーザ・インターフェイス(GUI)につながるアイデアを簡潔に表現し,GUIの開発に大きな影響力をもった.
操作
Doing
マウス
行為的
enactive
自分がどこにいるかを知って処理する
イメージ
with Images
アイコン、ウィンドウ
図像的
iconic
認識し、比較し、設定し、具現化する
シンボル
makes Symbols
Smalltalk言語
記号的
symbolic
推論を連鎖させて、抽象化する
重なるウィンドウ
おそらく最も直感的だったのは,重複するウィンドウというアイデアだ
……私が小さすぎると思っていたビットマップ・ディスプレイは個別のピクセルでできており,そこから画面を重ねて見せるというアイデアへ直ちにつながった.これに対してブルーナーのアイデアは,常に比較する方法がなければならないことを示唆していた.あちこち飛び回るという,図像的メンタリティの特徴から考えれば,できる限り多くのリソースをディスプレイ上に表示することは,障害物を取り除き,想像力と問題解決力を高めるために良い方法だった.
マルチウィンドウを使う直感的な方法とは,マウスが指しているウィンドウを一番上に持ってくる,というやり方だった.
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デスクトップ・リアリティと永田康祐《Function Composition》
デスクトップ・リアリティ
デスクトップ的リアリズム?
乱層のデスクトップ
問題提起
単眼👁によって見られるウィンドウ
画面の系譜学
「一つの画面に一つの画像を見る」への挑戦
「Doing with Images makes Symbols」を体現する「重なるウィンドウ」
Doing with Images makes Symbols(イメージを操作してシンボルをつくる)
重なるウィンドウ