新反動主義への反論
人権という言葉にアレルギー反応を示す人々が一定数存在するが、それはなぜだろうか?彼らが「人権よりも優先すべき社会の持続性」を信じているからだ。そしてその争いにこの文書で終止符を打つ。

結論から言って、緊急事態の開始条件が民意に制御されていないシステムは最終的に独裁に至る。したがって人権を否定できる状態―緊急事態宣言等―を推進する者は、なぜその制度設計が安全なのか証明する義務がある。しかし一向に説明が成されないのでここに記す。

緊急事態の開始と終了

疫病や災害による緊急事態は多くの場合で内閣や大統領の意思決定により開始され、一応は法に記された期間だけ続けられるとしつつも、実質的な終了時期も内閣や大統領が決める。これは不健全だ。

正しくは、「民意により開始して、自動的に終了し、民意により再度許されるまで継続できない」というのがあるべき姿だ。

持続性という言葉の曖昧さ

持続性という言葉は注意して用いる必要がある。この言葉は「善(=ある系の持続性に寄与する性質)」という概念に関連が強く、盲目的肯定を生みやすい。

その持続性が、これまた「善」たるはずの人権より優先される事態がこの世にはあるというのだから、この議論は繊細に行わねばなるまい。

あらゆる価値基準が人権概念に照らすことで合意が取れるような頑健な人権概念の唯一の例外としての「非常時の国家の持続性」、これの存在は認めよう。認めるが、上記で指摘した「民意の時間による制限」は必ずセットであるべきなのだ。

そこさえ違わなければ、あるいは違いようのない仕組みに埋め込んでしまえば、「あらゆる政策決定は人権概念に照らした上で最大限クリエイティブにやればよい」と胸を張って全人類に主張できるのだ。

参考