ただのメモ
オナ禁をやめて、ネトナン300人を目指そうか考えていた。IT技術を使って出会い系サイトをハックすれば、いけるんじゃなかと。でも、考え直して、よくないなと思った。それを達成した先になにがあるのか?快楽に任せて現実を見たくないだけなのではないか?無理やり目標を立てて、前に進もうとしているのではないか?一人よがりの性欲は、建設的なものを生まない。セックス産業は、人間を偉大な挑戦や目標を目指すことを避けるために、戦後GHQによって推奨された。そんなものに振り回されて、快楽を追いかけて、自分の人生の貴重な時間を失いたくない。私が生まれてきたのは、性欲などの快楽を追いかけるためではなく、事を成すためにある。

オナ禁は、現代におけるアヘン戦争だ。

半年かけて開発したSNSは、わたし一人しか使わない。ひとりSNSだ。しかし、孤独はつらい。やはりSNSをつくりたい。

大河ドラマ、西郷どんを全部みた。ここ数週間、本当にうつ状態で自分の自信が砕かれ、つぶれていた。でも、もう少し頑張ろうと思った。なぜなら、私は西郷さんと同じ菊池氏族の末裔であり、西南戦争を生き抜いた薩摩隼人であり、万分の一でも西郷さんと同じ血がこの身体に流れている。

成長というものは、成功と失敗の上位概念である。

私はエンジニアになっても、はじめは全く業務時間外で勉強をしたことがなかった。会社にはいって1度目のうつでつぶれたとき、上司はわたしをプロジェクトから外して、こういった。会社にきてすきなことをずっとしてていい。わたしは、Emacsの設定ばかりいじっていた。それがきっかけで、プログラミングが本当に好きになり、仕事のあとも休日も、つねに勉強をするようになった。

社会問題は政治では解決できない。政治にはソリューションがない。社会問題は、イノベーションとテクノロジーで解決できる。

経営には、人を奮い立たせるビジョンと固い友情(社内文化とコミュニケーション)が大事。

「Titanのミッションは、一人ひとりが、自分の情熱に従って行動し、夢を追い挑戦し成長することをサポートすることで、人類家畜化計画を阻止することです」
こうやって以前書いた。半分はこれでよい。しかし、その自分の情熱というのは、個人主義、利己主義であってよいのか?自己中な目標ならば、自分の快楽を追求するならば、一生オナニーしてろよ。利他のために情熱を持つべき。しかし、この論拠が、なぜそうなのかが、まだロジックで固められない。

利己主義は、他人を傷つける。そして、他人を傷つけると、心が痛む。利己主義と利他主義、どちらがいいかはとても難しくて正解がないかもしれない。私は、西郷隆盛と同じ血が流れているので、利他主義を選ぶ。思いやり=愛が大事。

シリコンバレー的な、個人主義、弱肉強食、自由経済は、敬天愛人とは反対の思想な気がする。

人間は生まれながらに不平等であることを認めよう、しかし努力する自由だけはある。
「人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない」- ヴィクトール・フランクル

フェイスブックやインスタグラムは幸せが切り取られた世界。わたしは成長(成功と失敗、努力)が切り取られた世界をつくりたい。

ユニグラの動画のほとんどは、これ。
夢中になれるものを探し、人生のリスクをとり大きな志を掲げ、情熱を持って諦めずに達成を目指す。

生きる意味がわからないから死ぬというのは、おかしい。魂は永劫回帰する。死んでもまた生まれかわる。ならば、この生で人生の意味を見つけてまっとうするしかないのではないか?

多くの人が、臨死体験や前世の記憶を持っているのはおかしい。これは真実なのでは?

広告という収益モデルをブロックチェーンで打ち崩すことはできるか?Google、Facebookは広告収入によるビジネスモデル。

闇金ウシジマくんをずっとみていて、とても大事なことに気づいた。性産業の背景には、貧困と権力の暴力がある。風俗も、誰も自らの意志でその世界に踏み入れることはないはずだ。常に、貧困と欲望を付け狙う悪者によって弱者が犠牲になる。xvideosは悲しみの貧困大博覧会。エロ動画を見ると心が痛む。

ハーモニーとは、それぞれ違うものが独立に存在することで、新たな意味が出てくる

キャリア9年とはいえ、そのうち3年はひきこもって働いていない。1年半も仕事していなくて、エンジニアとして復帰できる自信もない。

鬱病など精神的に苦しんでる方々を「エンタメ」によって孤独にならないようなサービスを作っていきたい

うつ病なんてのは医者が勝手に定義して人間を分類しているだけで、概念だと思う。実際は、そんな病気なんてない。うつ症状は認める。なので、医者の定義に従ってうつ病と自己主張することは、自分は弱いので助けてもらう権利があると主張するようなもので、甘えだ。
運動したら疲労するように、生きていれば心が疲れているだけ。運動しすぎて疲労病と診断されるのと同じくらい、うつ病の違和感を感じる。疲労しすぎているのは病気ではない。うつであるのは症状であって、病気ではない。
抗うつ剤を飲むことの嫌なところは、薬の効果はよくも悪くも気分をまったりさせるので、強い悲しみを防ぐ一方、強い喜びも感じることができなくなる。このことは、あまり話題になることはないが、問題だと思う。